2016年06月23日

「存在感」




この歳になり、時折真剣に考える。

運転をしながら静かな時間のなかで想いを巡らす機会があります。

それは存在感であるとか、
本質的なカッチョ良さとか。




48歳を目前にして表面的なカッコ悪さが目立つこの頃、どんな立ち振舞いを心掛けたらバランスがとれるか想像を巡らすのだ。


おおよそ不恰好な中に見え隠れする、
一瞬のカッチョ良さほど宝物みたいにおもえ、それは歳を重ねるほどに強くなってるみたい。

いよいよオッサンも後半戦になってきたワケだ。



不恰好のなかに魅力とは…?

例えるなら、
若い時には気づかなかった山菜の美味しさみたいな。

それは苦味かもしれない、アクの強さかもしれない、
タケノコであったり、たらの芽だったり、
季節のもの、自然の恵み、恩恵への感謝の念というものに気づくようになりつつある感覚に似てるかもしれない。


自然の恵みとは、
いうなれば主張しない存在感?

ありがたき存在こそ、そっとソコにあるみたいな?

地味でありながら、滋味深く力強い味わいを持つ山菜のようにあるならば…。

「人間味」って言葉もあるし。


見た目の想像を越えるような味わい。

そんな意外性とかが、カッチョイイと感じる本質じゃないのかね?


そんなこんなを考えてみたりします。



ムズカシイことなんだけども、
「人間味」とか 「真剣味」とか

大事におもう年頃になってきました。







posted by warda at 21:50| 宮城 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々の歩み | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする